弱者を救う社会を否定するものは、人類の存在を否定している。

弱者を救う社会を否定するものは、人類の存在を否定している

ざっくりまとめると。。。
  • 人類にとって適切な役割分担をすることと、弱者を救うことは、未来を創ることイコールで繋がる
  • 弱者を切り捨てることは、人類史に対しての侮辱行為
  • 日本こそケアエコノミーにおけるグローバルリーダーになるべきだ

人類が地球上でもっとも繁栄した理由はなんでしょうか。ボクは4つの理由を考えます。

・分業と交換。それに伴って専門化で道具を発展させたこと
・適所適材による役割分担を行ったこと
・ハーベスト(収穫物)の分配ルールを定めたこと
・弱者をみんなで助ける制度を確立したこと

これらの理由によって地球上での生存活動において、心理的安全性が高まり、生産活動以外の活動に着手することができるようになりました

それによって未来に対しての妄想を広げることができ、イノベーションが起こり、産業革命を経て、今の便利な生活を手にすることができました。

そして、これからのワクワクする未来をさらに想像する余裕ができたのです。

つまり、人類にとって適切な役割分担をすることと弱者を救うことは、未来を創ることとニアリーイコール、いや完全にイコールで繋がるのです。

人類にとって適切な役割分担をすることと、弱者を救うことは、未来を創ることイコールで繋がる。

ネット上、特に匿名系コミュニティでは、弱者を救うことについてネガティブな意見をよく目にします。

例えば、生活保護受給。もちろん詐欺的行為を行う人がゼロではないことは確かだが、それをもって気軽に受給申請できないようにしたり、今の行政の対応のように受け入れを厳しくしてしまうようでは、ただただ弱者を切り捨てることに他なりません。

弱者を切り捨てることは人類史に対して、人類の発展に対して、先人たちの死をかけた試行錯誤を経た知恵に対しての侮辱行為です。

またそうした考えを持つ人が未だ多勢を占めるがゆえ、第二次世界大戦以降の復興と世界経済の急成長によって、人類が新たなステージに立ったにもかかわらず、「ケア」については未だに過去を引きずっています。

技術革新によって医療技術も進歩し、人類の寿命が伸びる中で「ケア」の需要が格段に高まっているにも関わらずです。

弱者を切り捨てることは、人類史に対しての侮辱行為。

ケアエコノミーとは、家事や育児、介護、看護などのケアワークに関するビジネスのことです。高齢者や障害者への介護サービス、保育士や看護師、介護士、公的なケアワークから、家庭内での家事や育児、身内の介護など無償の労働(アンペイド・ケアワーク)まで幅広いケアが存在します。

しかし一方で、ケアワークは多くの国で割りに合わない仕事となっている。身体的、精神的に負担が大きく、時に性的に搾取されることもあります。それほどまでに価値の低い仕事になっているのです。

ケアエコノミーは、持続可能な経済・社会づくりに必要不可欠です。日本は課題先進国ですから、「ケア」のマーケットは確実に伸びていくでしょう。今参入すべき市場の一つです。

そこでしっかりとビジネスモデルを構築することができれば、事業者と受益者がWin-Winの関係になるだけにとどまらず、働く人にとっても、それが開発途上国の人ならその周辺にとっても、間違いなくWinが広がる経済圏となりえます。

日本においては、世界中のどの国よりも積極的に取り組まなければならないのに、政治は弱肉強食の社会を作ろうとし、行政は弱者救済を税金の無駄遣いと切り捨て、財界は金儲けだけに走り、スタートアップはキラキラすることだけ追いかけています。

日本こそケアエコノミーにおけるグローバルリーダーになるべきだし、ならなければ日本の未来は本当に暗いものになってしまいます…。

日本こそケアエコノミーにおけるグローバルリーダーになるべきだ。
ビジネスクリエイター、インキュベーター、アクセラレーター、コンサルタント。エンジニアとして、PHP/HTML/CSSのマークアップ言語によるWebサイトの制作、SEOエンジニアリング、アクセス解析アナリストを経験した後、IT領域の技術/潮流をベースとしたエスタブリッシュ企業向けのコンサルタントを経て、複数のIT企業にて、Web/アプリ系、O2O系、IPライツ系の新規事業立ち上げに注力。事業開発から経営企画業務まで、事業および会社立ち上げに関する業務を幅広く経験。また、シードフェーズのベンチャー複数社の立ち上げへの参画や経営戦略・組織戦略・PR戦略へのアドバイザリー、メンター、複数のアクセラレーションプログラムのメンターも手がける。