最近よく大学3年〜4年の内定が出て、これから社会に出ていくという若者と出会う機会が多く、社会人としてのアドバイスを求められることがある。
およそ10年間サラリーマンとしてベンチャーを渡り歩いてきた。特に成功実績がないわけだけれど、失敗なら数え切れないほどしてきた。
そんなボクの意見が参考になるのであれば、と思い、僭越ながらアドバイスをさせてもらっているのだが、せっかくなのでブログにまとめてみることにする。
(基本的に本稿は、中規模〜大規模の企業へサラリーマンとして就職する若者向けに書かれている)
Contents
素直であれ
「若者に必要なのは、素直さとちょっとの生意気さ」という記事にも詳しく書いたが、まず一番はじめに大切なのは「素直」であることだ。
人材の成長において意識すべきは、守破離である。
まずは師匠に言われたこと、型を「守る」ところから修行が始まる。その後、その型を自分と照らし合わせて研究することにより、自分に合った、より良いと思われる型をつくることにより既存の型を「破る」。最終的には師匠の型、そして自分自身が造り出した型の上に立脚した個人は、自分自身と技についてよく理解しているため、型から自由になり、型から「離れ」て自在になることができる。
守破離 – Wikipedia
ビジネスでいうならば、仕事の仕方であれ、情報の精度であれ、なにが正しいかどうかの判断能力は、スタートラインではほぼないに等しい。
そのとき、玉石混淆のなかから玉を選び出す、という行為を、そのないに等しい判断能力で行うのではなく、まずは、すべてを素直に受け入れ、実行してみる「守」から始めるべきである。自ら判断は行わず、他人が判断したモノとそのはんだん基準をまずは無批判に受け入れるのだ。
その後、一定程度の経験が積み重なるに連れ、他人の判断基準のなかから、自分に合った判断基準を手にすることができ、受け入れてきたものを批判することができるようになっていく。そこで「破」だ。玉石混淆のなかから自分にあった玉を選び出す。
そして、自分にあった玉を集められるようになり、それをもとにさらなる経験を積んだ後、最後に「離」。自分のスタイルで仕事ができるようになる。ここまでいくと、はじめて、事業ドメインにとらわれず、様々な業種で活躍できるオールマイティプレイヤーへと昇華することができる。
少なくとも、「守」→「破」に至るには、早くても3〜5年はかかるだろう。「離」にいたっては、そこに到達することなくサラリーマン人生を終える人がほとんどだ。焦らずじっくり歩んでいけばいい。
もしスピードを追い求めるのであれば、リスクをとって起業をしたほうがよい。サラリーマンよりも、経験は段違いに得られる。ただし、サラリーマンとは異なり、玉石混淆の石すら誰も与えてくれない環境になるわけだから、そこを意識せずにいると、無駄なリスクを背負い、無駄な時間を過ごすだけになってしまうので注意が必要だ。
とにかく本を読め
インターネットが普及し、情報大洪水といわれる昨今、いかなる情報もグーグルで検索すれば、即座に手に入れることができる。
時代の潮流を掴んだり、とあるトピックスに関する最新の情報を得たり、と、いわば新聞的な扱いでネットの情報を活用するのはよいとおもう。現に、ボクもfeedlyでいくつかのブログのRSSは読んでいる。
そこから得られるものは、知識としては表層でしかない。薄っぺらく、非常に視野が狭いものである。その前提認識は持っておかないといけない。
そう考えると、書籍こそが最良の先生であると、ボクは考えている。
書籍には情報が体系化されておりまとまっている。
これこそがネットに転がっている情報との大きな違いだ。ネットの情報は断片的で、全体像を俯瞰した上で、その断片が知識のどこに位置するのかが理解しにくい。情報の全体像をきちんと掴んだ上で、断片的な情報に触れることに意味があるのだ。
ネットで情報を仕入れることもよいことだが、その前提の知識として、きちんと体系化された情報に触れ、自らのモノにしておいたほうが、より理解は深まり、血肉となる。
また、ネットでは、情報をさくさく読み進めることができる反面、頭を使うような情報には触れない、という行動になりやすい。少しでもハードルを感じ、心理的な苦痛を感じたら、そう、それから逃れるのは簡単だ。ブラウザを閉じるだけでよい。
心理的には楽になるだろう。しかし、「知識」の成長を得るためには、そういった情報にこそ触れなければならない。そう、書籍を選択するときには、自分の知識を超える、少しでも難しく、つまらないものこそ、吸収する意欲を持って読もう。それこそが成長に繋がる。
一度読み始めた書籍は、ブラウザを閉じるよりも、逆に読むことを止めるハードルのが高いはずだ。(お金を払ったから、とか、負けた気になるから、とか、まあ理由は色々だ)
質の高い人材と交流しろ
情報、上司からの教えについては、玉石混淆を選ばず、まずはすべてを吸収すべき、とした。しかしながら、人材交流は別だ。石たる人材と交流することになんの意味もない。
ボクは、若かりし頃、異業種交流会によく出ていたが、いまとなってはあれは時間とお金の無駄だったと感じている。なぜならば、そういった交流会の場に来るような人は、そこにこないと人脈が広げられない(待っていても勝手に舞い込んでこない)ような価値しかないからだ。
質の高い人と繋がり、質の高い人を紹介してもらうことが大切だ。また、直接の繋がりがなくとも、ソーシャルメディア全盛の時代だ。直接コンタクトをとってもいいだろう。
もしかしたら無下にされるかもしれない。無視されるかもしれない。しかし、コンタクトをとってみたら、1%の可能性であっても、直接会って話すことができるかもしれない。
こうして、質の高い人材とまず繋がり、気軽に話ができる関係性を築くことができたなら、あとは、その人がビジネスにおいて価値があると自分のことを思ってくれるよう、ひたすら自分のバリューを高めるだけだ。
すると、10年後、その人脈が活きてきて、さらなる価値を生むようになる。
情報発信せよ
ブログをやろう。
ただ、何を食べたとか、どこにいったとか、正直誰も興味がないものは書かないほうがいい。(といいつつ、ボクは書いてるけど)
まず、ひとつは、インプットした玉石混淆あふれる情報を、自分なりに整理してアウトプットすることを意識しよう。これは、自分の知識や経験を整理する意味で非常に役にたつ。
そして、可能な限り、そのカテゴリをひとつに絞り込もう。
ここでいいたいのは、どのカテゴリでもいいから「なにかの専門家になれ」ということと、「専門家であることを周りから知られよ」ということである。
専門家であることは非常に重要だ。しかしながら、知識や経験がある専門家で名を知られていないよりも、それより少し情報量が劣っても、名の知られている専門家の方が価値がある。
名が知られていることによって、人も情報も集まるからだ。いずれ、抜きん出た存在になるだろう。
昨今、ブログを書くことによって、専門家としての地位を確立した20代前半の若者は多い。
ブログを軽視する風潮もあることは確かだ。しかしながら、アウトプットをすることが、しないよりも一歩先に進むことができるきっかけになることが事実として目の前にあるにもかかわらず、あなたはまだブログを書くことを無駄というのだろうか。
出世を目指せ
就職先は、大企業だろうか、ベンチャーだろうか、はたまたスタートアップだろうか。
いずれでもいい、まず意識すべきは「短くても最低3年は働くこと」と、「ひとつでもいいから出世をすること」だ。
若いのだから将来は自ら起業をするだろう。いやするべきだ。
そこへの経験を積むための過程としての就職と考えるならば、事業経験もさることながら、一番学びたいのは「組織」はいかあるべきか、ということだ。
これだけは、サラリーマンの経験を積まなければ(いきなり起業をしてしまっては)得ることのできない貴重な経験だ。実体験として、その組織がどのような人材戦略・人事戦略・採用戦略を持っているか、を知ることができる。
また、それを深く理解するためには、ひとつでもいい、そして、ひとつでも多く出世すべきだ。
ヒエラルキー型組織においては、職位がひとつでもあがればあがるほど(部下の人数が増え、責任範囲が増えるほど)、見える景色が違う。得られる経験が格段に違う。
その景色を見ることこそが、サラリーマンとして得られる最大の経験だ。