ネット経由で、テレビ番組を海外などに転送するサービス「まねきTV」を、NHKと在京民放5社が著作権侵害を理由に差し止めを求めた裁判が以前より続いていましたが、1月18日、最高裁は「公衆への送信に当たり違法」と初めての判断を示し、知財高裁への差し戻しが決まりました。
インターネット経由でテレビ番組を海外などに転送するサービスに対し、NHKと在京の民放5社が著作権侵害を理由に差し止めや賠償を求めた訴訟の上告審判決で、最高裁第3小法廷(田原睦夫裁判長)は18日、「公衆への送信に当たり違法」との初判断を示した。著作権侵害に当たらないとした一、二審判決を破棄、損害額などを算定させるため、審理を知的財産高裁に差し戻した。
「まねきTV」訴訟、最高裁が違法判断 知財高裁に差し戻し :日本経済新聞
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「録画ネット事件」と「まねきTV事件」
以前、コルシカの事件が起きた際、僕はその類似事例として「録画ネット事件」と「まねきTV事件」を記事に書きました。
コルシカと同様のサービスで裁判に至り、判決が出ている事件として、「録画ネット事件」「まねきTV事件」の2例があり、それぞれ全く異なる判決が出たことが話題になりました。しかし、確かにそれぞれ状況が異なり、ある程度納得が行く判決が出たと言えます。
有限会社エフエービジョンが運営する「録画ネット」、永野商店が運営する「まねきTV」は、共に海外に在住する向けに提供する録画代行・転送サービスです。
「録画ネット」では、まずテレビチューナーとキャプチャーカードを搭載したパソコンを購入し(実際は録画ネットが代行)、それを同社に預ける形で番組を録画してもらい、ワン・ツー・ワンでデータを送信するというものです。対して、「まねきTV」では、ソニーの「ロケーションフリー」という機器を活用しました。「ローケーションフリー」は、「録画ネット」がLinux搭載PCで実現したことをコンシューマー向けの家電製品として製品化したものです。「まねき TV」は、利用者が家電量販店などで自分でロケフリを購入し、これをまねきTVに宅配便で送って、都内にあるデータセンターに保管することで、データ送信を実現しました。
双方に対してテレビ局各社が共同で差し止め訴訟を起こしましたが、結果は「録画ネット」が敗訴、「まねきTV」は控訴棄却となったわけです。
ここでの違いはどこにあるのでしょうか?
「録画ネット」が録画を行うPCはすべて「録画ネット」側で用意しており、利用者は名目上の所有者でしかない。つまり、実質は「録画ネット」が運営主体となっていると裁判所は判断しました。
それに対し、「まねきTV」では、「ローケーションフリー」は利用者が購入して運営会社に送付しており、あくまでも「主体は利用者」と裁判所は判断したわけです。
つまり、録画/視聴の主体がどこにあるかに応じて、異なる判決が出たというわけです。 Web業界がいくら自由でも他社の権利は守るべき 〜コルシカ運営終了 :: 電網技術者覚書
この記事はちょうど、二審判決がでた段階での記事で、一審判決、二審判決では、以下の理由により、テレビ局側の訴えを退けていました。
(1)送信可能化は「自動公衆送信装置」(ネット上のサーバなど)の使用を前提としている。自動公衆送信装置は、公衆(不特定または多数の者)が、通信回線を使って著作物を直接受信できるようにする送信機能を持つ装置でなければならない。
(2)ロケフリのベースステーションは、あらかじめ設定した端末との1対1の送受信だけが可能であり、不特定多数への送信は行えないから、自動公衆送信装置とは言えない。ユーザーはまねきTVと契約し、1対1通信を行うためのベースステーションをまねきTVに持参・送付した者なのだから、まねきTV にとってユーザーは不特定または特定多数とは言えない。
(3)ロケフリベースステーションからどの番組を端末に送信するか/しないかはユーザーが決めることであり、まねきTVには決定に関与していない。まねきTVは送信の主体と言うことはできない。
(4)従って、まねきTVはテレビ番組の「送信可能化」には当たらないから、まねきTVが主体となって送信可能化権を侵害したとは言えない。
(5)ベースステーションは自動公衆送信装置ではないから、テレビ番組をユーザー端末に送信することは自動公衆送信には当たらず、公衆送信権の侵害も成立しない。
1対1通信のロケフリは「自動公衆送信装置」になりうるか 「まねきTV」最高裁判決の内容 – ITmedia News
asahi.com(朝日新聞社):テレビ番組の海外転送違法 最高裁「TV局の権利侵害」 – テレビ・ラジオ – 映画・音楽・芸能
まねきTV、最高裁での判決
しかし、18日の最高裁判決は、一審、二審判断を「是認することができない」としました。
最高裁の上告審判決では、著作権法が送信可能化を規制の対象となる行為として規定した趣旨と目的は、公衆送信の一態様である「自動公衆送信」が既に規制の対象とされていた状況下で、自動公衆送信の準備段階の行為を規制することにあると説明。このことからすれば、公衆の用に供されている電気通信回線に接続し、装置に入力される情報を受信者からの求めに応じて自動的に送信する機能を有する装置は、単一の機器宛に送信する機能しか有しない場合であっても、行われる送信が自動公衆送信であると言えるときは自動公衆送信装置に当たると言うべきだとしている。
また、自動公衆送信が装置の使用を前提としていることを鑑みると、受信者からの求めに応じて装置が情報を自動的に送信できる状態を作り出す行為を行う者が主体であると解するのが相当で、装置が公衆の用に供されている電子通信回線に接続しており、これに継続的に情報が入力されている場合には、装置に情報を入力する者が送信の主体にあたると解するのが相当だとしている。
まねきTVのサービスについては、ベースステーションを分配機を介するなどしてテレビアンテナに接続し、受信された放送が継続的に入力されるように設定した上、事務所に設置・管理していることから、利用者がベースステーションを所有しているとしても、送信の主体は永野商店とみるのが相当だと指摘。サービスは契約を結べば誰でも利用可能であることから、送信の主体である永野商店から見てサービスの利用者は不特定の者として公衆に当たり、ベースステーションを用いて行われる送信は自動公衆送信であり、サービスは放送の送信可能化に当たると言うべきだとして、知財高裁の判決を破棄している。 最高裁が「まねきTV」訴訟で審理差し戻し、自動公衆送信に相当すると判断 -INTERNET Watch
判決は前提として以下を示した。
(1)著作権法が送信可能化権を定めたのは、自動公衆送信の準備段階を規制することにある(編注:ネット上における動画などの「違法アップロード」がこれに当たる)。
(2)この趣旨からすると、機器に入力したコンテンツなどを、ネット経由で受信者からのリクエストを受けて自動的に送信する機能を持つ装置は、それが1対1の通信機能しか持たない場合であっても、その送信行為が自動公衆送信に当たる場合は、この装置も自動公衆送信装置に当たるというべきだ。
(3)自動公衆送信を行っている主体は、自動公衆送信装置が受信者からのリクエストに応じて情報を自動的に送信できる状態を作り出す行為を行う者と解するべきだ。今回のように装置がネット回線に接続され、これに継続的にデータが入力されている場合には、装置にデータを入力する者が送信の主体である。
つまり「1対1通信のロケフリは自動公衆送信装置には当たらない」との一審、二審の解釈を退け、サービスによってはロケフリも自動公衆送信装置に該当しうるとした。そしてこの場合、送信を行っている主体はロケフリにテレビ番組データを継続的に入力している者だとした。
その上で、以下のように結論した。
(4)まねきTVは、ロケフリベースステーションに対し、アンテナで受信した電波を分配機を介するなどして継続的に入力されるように設定し、ベースステーションを事務所に設置して管理しているのだから、ベースステーションの所有者がユーザーであっても、ベースステーションに入力しているのはまねき TVであり、送信を行っている主体はまねきTVとみるべきだ。
(5)ユーザーは誰でもまねきTVと契約してサービスを利用できる。まねきTVからみてユーザーは不特定の者として「公衆」に当たり、まねきTVを主体としたロケフリによる送信は自動公衆送信であり、ロケフリは自動公衆送信装置に当たる。従って、ロケフリベースステーションに放送を入力することは、「放送の送信可能化」に当たる。
(6)アンテナからベースステーション、ベースステーションからユーザー端末まで、まねきTVが送信の主体として行うテレビ番組の公衆送信に当たる。
1対1通信のロケフリは「自動公衆送信装置」になりうるか 「まねきTV」最高裁判決の内容 – ITmedia News
端的に言うと、二審判決までは、”所有者が誰であるか”に着目し判断していたのに対し、最高裁判決では配信の主体者が誰であるかに対象が置かれました。その上で、まねきTVのベースステーションの設置者はあくまで永野商店であり、それを鑑みると配信の主体者は永野商店になるとしたのです。
これが本当にスマートTVが日本で生まれない理由と成り得るのか
この訴訟の結果に対して、スマートTVが日本で生まれなくなっただの、IT後進国になっただのという意見をWeb上で目にしました。(むしろそれが多勢だったかのように感じました。)この意見に疑問を2点感じました。
コンテンツホルダーの権利を無視することをよしとするのはいかがなものか
IT関連の議論において、コンテンツホルダーの権利を無視することをよしとする前提のもとに進むものをよく目に、耳にします。コンテンツホルダーの”クリエイト”という行為に対して経緯を払わずに、なぜ彼らは自分の権利ばかり主張するのでしょうか。
時代が変わったのだという意見ももちろんわかります。時代は変わっていますし、それに取り残されたものの先にあるのは”死”あるのみです。だからといって、それは権利を無視していい理由にはなりません。あなたの周りの時代が変わったのかもしれませんが、彼らの周りの時代は変わっていないのですし、彼らは古い権利によって生計を立てているのです。自分の(ある種思い込みに近い)時代が変わったという荒唐無稽な理論で彼らを殺すことは正当化されません。
海外のスマートTVは著作権を無視していない
Google TVも、Apple TVも、huluも、よく比較に出される海外のサービスはどれひとつとってみてもコンテンツホルダーの著作権を侵害していません。それを比較対象として持ち出して、日本が遅れているなど、何故言えるのでしょうか。
確かに、海外のサービスは著作権を無視したサービスもありました。代表例はNapsterですね。しかし、すでにそれは過去のことです。時代はコンテンツホルダーを取り込む、しかも彼らよりも強い立場たるプラットフォーマーとして彼らを取り込むという流れになっています。AppleのiTunes Storeがいい例です。iPodで時代に大きな流れを作り、iTunes Storeを立ち上げ、弱い立場で優位な条件で契約を結んだ後、強い立場へと変化しました。
この訴訟をみて、日本が時代遅れだとのたまう者ほど時代遅れだ
もう一度いいます。時代はコンテンツホルダーさえ取り込んだ、ある種彼らが自ら納得して(しぶしぶでも正当に)参加するようなビジネスモデルを構築するところまで進んでいます。そして、それがまさに既存のビジネスにITで革命を起こすことになっているわけです。現にiTunes Storeによって音楽業界に革命が起き、音楽業界はビジネスモデルを変化させざるを得なくなりました。しかし、それは他者の権利を侵害したわけではなく、至極真っ当な戦略に基づいたビジネスによって起こったわけです。
永野商店の「まねきTV」は決して革命を起こすレベルのビジネスモデルではありませんし、既存の法的枠組み上、あきらかに理不尽な敗訴とはまったくもって言えないと思います。一審判決、二審判決も、最高裁判決も、どちらの解釈もあり得たと思います。
ビジネスがグローバルにスケールしていく時代に、この国だけが時代遅れという発想すら時代遅れです。思考を変えましょう。コンテンツを利用するサービスを構築するにあたって、他者の権利を侵して起こす革命は暴力革命でありテロリズムです。それが許される時代は既に過ぎ去りました。すでに過去のことなのです。革命を起こすのであれば既存のビジネスモデルの枠組みに変化を起こすものを志すべきです。それをすでに志して革命を起こした企業は存在するのです。僕らに出来ない理由は何もないと思いますがいかがでしょうか。