運営するサイトのユーザの声を聞く機会がありました。
そこで、百聞は一見にしかず、百の理論よりも一のユーザの声と感じました。
どこの企業でもそうだと思いますが、ウェブサイトの制作の前には、リサーチ結果や書籍を元に理論を組み立てています。
しかし、そうしたリサーチ結果や書籍にどんなに根拠や信憑性があったとしても、やはりそれは机上の空論でしかないのです。
理論と現実は全く違う。同じ”ような”ケースはあったとしても、同じケースはひとつも存在しないのです。
どんな施策を考案したとしても、そこにはユーザの視点は欠けていて、制作側の「こうだろう」という決め付けしかない。
業界にいるとその観点を忘れてしまいがちです。
その決め付けがすべてであるように考え、ユーザが本当はどういう行動をとるのかが見えていません。
しかし、実際、ユーザが本当にどういう行動をとるのかなんて分かりません。
そのために、リサーチ結果や書籍に記されている理論を使わざるを得ない。
「鶏が先か、卵が先か」になってしまいますね。
しかし、どちらかが大事なわけではありません。
鶏も卵も現実に存在する大切なものであるのです。
ユーザの声のひとつひとつは信憑性がないと考え、リサーチ結果に重きを置く方もいます。
しかし、信憑性がないからといって切り捨てるべき情報なのでしょうか?
私は、そうは思いません。
ひとつひとつが大事な声であり、傾けるべき声なのです。
確かに、クレーマー的な声が含まれることも事実です。罪なる無知が存在することも事実です。
だけれど、そこには制作側にいては見えない視点が含まれることも事実です。
たくさんのゴミの中にある宝を探すためには「分別」という非常に手間のかかる作業が必要になりますが、その宝を得るためには必要な努力でしょう。
クライアントへの説明ひとつとってもこれは言えると思います。
結局、提案に含まれているものは理論でしかなく、それを元に制作を進めていると説明します。
ですが、クライアントにとってみれば、その理論は必達するものと感じています。
そのすれ違いがクレームを呼ぶわけです。
そのとき、さらなる提案をする際にも結局、理論を使うしかない。
するとそれがさらなるクレームに繋がる。堂々巡りに陥ってしまう。
そこでユーザの声をひとつ入れてみる。
すると、クライアントはそれだけで納得してしまうこともある。
ある程度根拠があり信憑性がある数値で説得させることは必要最低限だけれども、信憑性はないたった一人のユーザの声の方がそうした数値を上回る納得感や訴求力みたいなものがある。
制作側からしてみれば信憑性のないものではあっても、クライアントにとってはそれが机上の空論を脱するひとつのポイントではある。
リサーチ結果や書籍もユーザの声も必要条件ではあるけれど十分条件ではない。
しかし、共に大事な必要条件であることは間違いない。
それを気づかせてくれるいい機会でした。