大企業で出世の階段を駆け上がっていく人は、必ずしも優秀ではない。
ベンチャー企業で出世の階段を駆け上がっていく人は、優秀な人が多い。
それはなぜか。
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ベンチャー企業は、生き残ることが大切
ベンチャー企業は、明日にも潰れるかもしれない、という危機感のなかで事業を営んでいる。
そうすると、組織としての第一の目的が「生き残ること」になるわけだ。
「生き残るため」には、よりサバイバルに強い能力を持った人材が好まれる。
具体的な例をあげれば、指示を待たずに自ら考えることができ、ゼネラリスト的にどの分野の仕事でも一定程度の成果を上げ、そのすべての領域において自身の意見を持ち、ディスカッションできる。そんな人材だ。
大企業は、現状を維持することが大切
一方、大企業は、潰れることはまずない。いったん目の前は既存の事業を維持することが、事業を営むことに等しい。
そうすると、組織としての第一の目的は「現状を維持すること」になる。
現状を維持するために必要なことは、オペレーションの効率化/自動化である。
そのためにはヒエラルキー型の組織で、軍隊よろしく、トップが右向け右で、全員右を向く。
「現状を維持するため」には、トップの意向に沿って、忠実に動く人間が好まれる。
そのような状況において、前述したベンチャー企業にとって優秀な人、とは、打つべき出た杭になってしまう。
そう、ヒエラルキー型大組織においては、「優秀でない人」が出世することが必然なのだ。
結局「優秀」の定義の違いである
つまりは「優秀」とは普遍的、絶対的な評価基準があるわけではなく、組織において相対的に変化する基準からみたものだ、ということだ。
大企業であっても、トップが常に変革の意思を持ち、ベンチャー的優秀な人材を登用する例は多分にある。
そのなかでも成功するケースが少なく感じられるのは、そういった人材を登用したところで、トップ以外の人間がそういう思考を持たない状況では、組織全体として必要な人材ではないから、足が引っ張られる、という結果が起こっているにすぎない。
しかし、変革を起こせるのは、大企業的優秀な人材ではなく、ベンチャー的優秀な人材であることは、誰もが理解していることだろう。
だとしたら、そもそも相対的である「優秀」の定義を変更することから始めた方がよいのかもしれない。例えば、人事考課制度を変えてしまう、とか。