- モノの溢れた令和時代は、自己実現・自己表現が消費動機
- 皆、趣味嗜好ごとに「分人」としての人格を持つ
- 実在しないペルソナではなく、マイクロコミュニティに共感、共鳴されることを目指す
大量生産大量消費の時代のマスマーケティングから、一時期のインフルエンサーマーケティングのブームを経て、令和時代にはマイクロコミュニティマーケティングが重要になりました。
モノが圧倒的に足りない戦後から高度経済成長期には、共同幻想としてのライフスタイル像が皆の中にあり、それを手に入れるために頑張っていたので、皆が同じものを欲しがりました。三種の神器など、まさにその象徴です。
その延長線上で、モノがある程度充足されたときには、欲しがるモノが多様化し、そこでインフルエンサーマーケティングの時代へと移りました。何を売るかよりも、誰が言うかが重要になったのです。自分の価値観と共感する価値観を持つインフルエンサーにみんなこぞって集まった。
それが、マイクロコミュニティに転じました。インフルエンサーの有無はどちらでもよくて、どちらかというと「価値観」そのものが重要になったのです。
モノの溢れた令和時代は、生きるための課題がなくなり、人は内なる声に向き合うようになります。つまり、自己実現・自己表現が消費動機になったのです。その結果、趣味嗜好がより細分化されました。
しかも、人はそれが1つしかないわけではありません。
SNS時代の現代には趣味嗜好ごとに「分人」としての人格を持ち、それぞれの小さなコミュニティに所属しているのです。
だからプロダクトやサービスは、ピンポイントにどのコミュニティの誰に受け入れられるかを定義しなければなりません。
実在しないペルソナを作ることに意味はありません。実際にそこにいる影響力のある「エヴァンジェリストカスタマー」を見つけることにこそ意味があります。
エヴァンジェリストカスタマーを通じて、マイクロコミュニティに共感をされ、共鳴するマーケティングを実施することでムーブメントを起こす。それができればその熱量はSNSを通じて他のコミュニティへと波及していきます。
SNS時代にマスマーケティングができない、というわけではありません。しかし、マスマーケティングは「みんなにとっていいものは、みんなにとってどうでもいいもの」をアピールすることになりかねません。つまり、誰も受け入れてくれない事態を引き起こしかねないのです。
マイクロコミュニティのムーブメントの「結果として」マスが受け入れるというステップでしかマスマーケティングが成立しない時代になってきているということなのです。