みんな簡単に人を信頼しすぎではないだろうか。
かくいうボクも、信頼していた人に裏切られた経験は数多。普通に平々凡々に暮らしているだけであっても、それはいとも簡単に起こり得ます。
なおのこと、起業家ともなれば有象無象のヤカラが寄ってくるわけです。エンジェル投資家やVCからの投資、メディアの取材、大企業からのアライアンス、採用面接など、ありとあらゆる場面でヤカラは登場します。そして、狡猾にあなたを陥れようとします。
そのとき、その人(ないし、会社)と事を進めるにあたって、相手のことを信じるに足る関係性が構築できているかどうかはしっかりと考えなければなりません。にも関わらず、大半の人は無自覚にあっさりと他人を信頼してしまいます。
仮に騙されたとします。それは誰が悪いのでしょう?当然、騙す側のほうが悪いに決まってますよね。では、相手が騙す気はなく、結果的に騙されただけの場合は?それでも騙す側が悪いんでしょうか?
仮に、いずれにしても騙す側が悪かったとします。それで?悪い相手がはっきりしたからといって被害は回復できますか?もちろん、そうはなりません。
つまり、騙されないためには、騙されたものが悪いと考え、自ら自衛策をとらなければなりません。
そのとき、ひとつの考え方として、信用と信頼の区別をつけ、「信用できるか」「信頼できるか」という2つの基準でみることが必要だと思います。
まずは、その言葉そのものの意味をみてみましょう。
しん‐よう【信用】
[名](スル)
1 確かなものと信じて受け入れること。「相手の言葉を信用する」
2 それまでの行為・業績などから、信頼できると判断すること。また、世間が与える、そのような評価。
信用(シンヨウ)とは – コトバンク
しん‐らい【信頼】
[名](スル)
信じて頼りにすること。頼りになると信じること。また、その気持ち。
信頼(シンライ)とは – コトバンク
そう、信用とは「過去の結果に対してするもの」、信頼とは「将来に対してするもの」なのです。
ボクが信頼して騙されたのは、大抵、過去の結果をみて、すごい人だと考え、関係性を構築していないのに、信頼してしまったことによって引き起こされています。
つまり、過去を持って「信用」して、未来に「信頼できるか」確認をすべきだったのに、過去を持って、未来を「信頼」してしまったのです。
この過ちが、起業家は起こりやすいと思います。
起業家によってくる人たちは、みなあなたに取り入り(狡猾に騙してやろうと)、過去の実績を目の前に提示します。起業家のあなたにとっては、それは輝かしいものでしょう。確かにその人はすごい人なのかもしれません。
しかし、それが「信頼」の保証、未来を任せて足る人財・会社であるという保証には繋がりません。
実際、誰もが知るあの有名な人が裏では、人を騙していた、欺いていた、裏切った、蹴落とした、搾取した、なんて話は、ちょっと聞いてまわるだけでゴロゴロ転がっています。
もちろん、逆を言えば、それをもって「信頼」できないと判断するのも違うと思います。人の人による評価なって、角度によって見え方は様々です。誰かのひとつの意見だけが正しいということはないでしょう。
だからこそ、まず、自分だけの評価ではなく多面的な評価をもって「信用」し、密度の濃いコミュニケーションをとることで「信頼」に足るかどうかをしっかり判断するということが、ヤカラの集まる輝かしいスタートアップの世界で生きるためには、本当に重要なことなのだと思います。