ボクは、新卒から10名足らずのベンチャーにジョインしてから、エスタブリッシュカンパニーでの就業経験はなく、小規模から大規模まで様々なベンチャー企業で働いてきた。ベンチャー企業で働くということは、良くも悪くも、ワーク・ライフ・バランスという言葉からは程遠い生活を送るということに等しい。働き方だけみれば、いわゆる”ブラック”だ。
もちろんそれを不満に感じたことはない。筋肉は過負荷をかけてはじめて成長するという。人間の脳も同様だとおもっている。大量の情報、大量の考え方にふれ、大量に思考し、大量にアウトプットすることにより、様々な経験を得ることができた。今の自分をつくっているのはその頃の”過負荷”のおかげだとおもっている。
しかしながら、30歳を超え、やはり20代の頃に比べると、体力的な衰えが徐々に出てきた。仕事も遊びも、と無理をするのがなかなかしんどくなってきた。
それにつれ、ワーク・ライフ・バランスについて、考えを巡らすようになった。
Contents
ワーク・ライフ・バランスの本来の言葉の意味
ワーク・ライフ・バランスという言葉を、「バランス」という意味を日本語的に捉えてみてみると、まるで仕事と生活を両天秤にかけるかのような印象を受ける。仕事と生活どちらを優先するか。
しかしながら、本来の言葉はそうではない。働き方におけるダイバシティーの中のひとつの考え方なのである。
ワーク・ライフ・バランスとは、「仕事と生活の調和」と訳され、「国民一人ひとりがやりがいや充実感を持ちながら働き、仕事上の責任を果たすとともに、家庭や地域生活などにおいても、子育て期、中高年期といった人生の各段階に応じて多様な生き方が選択・実現できる」ことを指す。
ワーク・ライフ・バランス – Wikipedia
ワーク(=仕事)はライフ(=生活)のなかの1つの要素に過ぎない。それは両天秤にかけるようなものではない。ましてや他人に、国や社会、文化、会社に決められるものでもない。
主体性は個人にあり、人それぞれ、ライフに占めるワークのシェアをどうおくか、ということを自ら決める。その働き方のダイバシティーこそを、ワーク・ライフ・バランスと呼ぶのだ。
ワーク・ライフ・バランスは、ライフのなかでのワークのシェアを自ら決めるダイバシティーのこと
僕はワーカホリックで、仕事が趣味みたいなものだ。ボクみたいな人間は、ライフのなかのワークに比重を8割、と定めて、働ければいい。
子供が産まれる前後の女性は、キャリアに優先度を置きたいと思っていても、ライフの比重がある程度大きくなってしまう。そのときは一時的にライフの比重を高くし、徐々に自分の望む形に変えていけばいい。男性であっても同様だ。子育てに時間を割くことを望むのであれば、そうすればよい。
人が人らしく働くために。ワーク・ライフ・バランスを実現しつつ、世の中に価値を提供するための企業のあり方、文化や制度をどう整えるべきかは、今後追求していきたいボクの研究課題のひとつだ。