- 高度にオペレーティブな社会においては同質性こそ正義だ
- 同質の中の賢者が語る「不可能」は大抵間違っている
- 価値観のダイバシティが未来を切り拓く
既存事業の既存組織、特に大企業と呼ばれる成熟事業を持つ会社におけるそれは、先人たちの右往左往・四苦八苦・七転八倒の末に、成功体験を積み重ね、高度にオペレーションが組み上げられています。
日本そのものが敗戦後の焼け野原から高度経済成長を経て、高度にオペレーションが組み上げられた社会構造である、とも言えます。
その中においてはダイバシティーは足かせにしかなりません。決まったオペレーションを分担した歯車がスムーズに動くことが、事業を社会を動かすことに繋がるからです。同質化しリスクを排除することが判断基準となります。
従って、日本において企業のトップにしても、政権のトップにしても、高齢男性ばかりが要職に就くことは間違っていないなかったのです。昭和までは。
SF作家アーサー・C・クラークが定義した「クラークの三法則」の第一法則にこんな言葉があります。
高名で年配の科学者が可能であると言った場合、その主張はほぼ間違いない。また不可能であると言った場合には、その主張はまず間違っている。
「クラークの三法則」第一法則
言い換えるなら、
高名で年配の社長、役員、上司が可能であると言った場合、その主張はほぼ間違いない。また不可能であると言った場合には、その主張はまず間違っている。
未来に大きな変化がなく、過去の延長線上に積み重ねていけば未来が成る、という成熟した社会においては「可能かどうか」が判断軸で間違っていません。だから同質性は必然であり、ダイバシティはリスクになります。
未来の不確実性が増し、不可逆的な大きな変化が訪れる時に、過去の常識(オールド・ハット)は通用しなくなり、新しい常識(ニュー・ノーマル)が訪れます。つまり過去に「不可能」であったことを、物の見方を変えて「可能」にしていくことが求められるのです。
例えば、「人間が飛べるか」という問いに挑む時、過去の先人たちはきっと崖から飛び降りて手を鳥のように羽ばたかせてみたのでしょう。飛ぶことなく落ちて死んでいった人たちが何人もいました。そこで先人たちは「人間は飛べない」という結論を出します。
一方、挑戦者は「人間は人間単体で飛べないなら、人間が飛ぶための道具は作れるのではないか」という仮説を立てたとします。これに対し先人たちは過去の経験から「そんなことは不可能だ」というでしょう。しかしその言葉に惑わされずに前に進んだ人たちが、パラシュート、パラグライダー、ハンググライダーなどを経て、飛行機を作るに至るのです。
未来の不確実性が増し、不可逆的な大きな変化がまさに今訪れています。
ダイバシティの推進は、同質性が持つ「不可能の断定」というリスクを回避し、多様な価値観による多様な「探索的挑戦」を推し進めることで、「イノベーションを推進」することができます。
ダイバシティに欠ける組織は、先人たちの作った「方程式」を解くためには最適な「同質性」を兼ね備えていますが、「不可能の断定」が同質性ゆえに起こるため、イノベーションを阻害するのです。
つまり、ダイバシティの本質は、性別や人種など「見てわかる多様性」ではなく、意見や考え方など「価値観の多様性」が重要なのです。そして、価値観の多様性を求めれば、同時に「働き方の多様性」をも求めることになります。
日本においては「ダイバシティ推進」という言葉が独り歩きしがちですが、目的のないダイバシティは絵に描いた餅です。