- 人々がお金と時間をかけるのは、常にコンテンツ
- みんなにとって良いものは、みんなにとってどうでも良いもの
- 顧客ファーストで考えるほど、ビジネスはマイクロ化する
コンテンツがなければプラットフォームに価値はありません。
人々がお金と時間をかけるのはプラットフォームそのものではなく、コンテンツです。
インターネットが普及したのは、無料で質の高いコンテンツを手にすることが出来たことが大きな要因でした。
質の低い「石」をネット上にばら撒きPVを稼いで広告収益を得るビジネスが跋扈したせいで、インターネットの世界は玉石混淆の世界から、石ばかりしかない状況に陥りました。
売上が立つという意味ではビジネスとしては成立しているかもしれないが、全くもって顧客ファーストではないビジネスです。顧客に価値を何も提供していないわけで、そんなビジネスはいずれが崩れ去り、終焉を迎えるのは必然です。
しかしいつまでたっても石は無くなりません。
ビジネスが小規模でも成り立つ学生起業家などの起業ごっこ、詐欺的コンサルに騙された中小企業、アフィリエイターなどが未だにインターネットの世界に石をバラマキ続けています。
「玉」を欲し求める人たちには探す時間が圧倒的にかかってきてしまいます。そして「ググり力」は生きる上で最低限必要なリテラシーとなりつつあります。
そして、ビジネスサイドにとっていえば、石が多い時代において玉を「キュレーション」することに価値が出ます。それを「多くの人が見ている」という軸で行なったのがSmartNewsであり、。「多くの人が質の高いコメントをしている」という軸で行なったのがNewsPicksです。
玉そのものをしっかりとお金を払ってでも得たいというニーズにしっかり答えられるのが旧来の「新聞社」であり「雑誌」でした。その意味においては、お金を払わなければ信頼性の担保された質の高い情報が得られない時代に、復活を遂げる可能性は十二分にありえます。
しっかり意識しなければならないのは「速報性の高い事実」に価値はないということです。SNSがインフラとなった現代において、SNSが即時性を担保しており、「速報」という機能はすでにコモディティ化してしまっています。そこに顧客が金を払う価値はないのです。
今まさに価値があるのは、特定の価値観によって形成されるマイクロコミュニティにおいて、バーティカルに圧倒的にバリュープロポジションのある情報です。
「みんなにとって良いものは、みんなにとってどうでも良いもの」の時代に、「みんなにとってどうでも良いは、ごく一部にとってとても良いもの」を提供するのことです。
それをビジネスとして成り立たせられるのがまさにインターネットの功績です。
一昔前にごく一部のユーザー向けに新聞を発行することなど出来ませんでした。特にコンテンツビジネスは、原価を限りなく抑えることができるため、一部のユーザーにだけ限定してコンテンツを届けることが出来るようになったのです。
顧客ファーストで考えれば考えるほど、ビジネスはマイクロ化していきます。
それを共通化しモジュール化してコストダウンしながら、いかにバーティカルを横展開させるか。
それがコンテンツビジネスにおいて成長の鍵になっていくことでしょう。