- チームの問題はコミュニケーションによって引き起こる
- 自らが完全にできていることなど、何一つないのに他人に完全さを求める
- 不完全を許容すること。それこそがコミュニケーションを円滑にする秘訣
人間は「神」ではありません。常に人間は過ちを犯します。
「完全」というのは概念の中だけの存在であって、人間に「完全」な存在などありえません。
いや、むしろ神話の中の神々ですら「完全」ではありません。
浮気は数百回としまくる。強姦も平気でする。気に食わない人物がいれば問答無用で動物や草や島などに変える。嫉妬に狂って殺害する。。。
神ですら不完全なのに、人間はなぜ完全性を追い求めるのでしょう。
そして、それが内だけに向くならまだしも、外に対しても。
最近とみに「コミニケーション」について考えを巡らせています。
チームにおいてほぼすべての問題はコミュニケーションによって引き起こり、そのすべての解決策はコミュニケーションにあります。
そして、その原因の多くは「完全性」を他人に求めることにあるのではないか、と。
自らが決して完全にできているわけでもないのに、自らが完全にできていることなど、何一つないのに他人に完全さを求める。
それがコミュニケーションの齟齬の始まりなのではないかと。
自分が相手の言葉を完全に理解しているわけではないのに、自分の言葉は相手に完全な理解を求める。
自分がプロジェクト設計を完全にできているわけではないのに、相手のタスク処理は完全を求める。
自分が完全な人間ではないのに、相手には完全な人間性を求める。
不完全を許容すること。それこそがコミュニケーションを円滑にする秘訣です。
そして、不完全を許容することこそが愛なのだと思います。
イエス・キリストは、こう言いました。
「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」
つまり人は完全性の他者への押し付けを原因とした争いを紀元前から未だ繰り返しているのです。
不完全を許容し、隣人を愛しましょう。