サラリーマンが新橋のガード下で、今日も愚痴をいっている。
「あんな上司の下についた、俺は不幸だ。」
「全部任せてくれれば、ちゃんと成果が出るのに。」
「なんであいつばかり評価されるんだ。」
ビールもぬるくなるほどに、愚痴が花を咲かす。
その花は、きちんと未来に実を残すのだろうか。
次なる花を咲かせるために、種を残すのだろうか。
その種は、次なる芽を伸ばすのだろうか。
愚痴をこぼしているだけで成果を残した人間を、ボクは一度たりとも見たことはない。ボク自身も含めて。
自分がやりたいことができないことを上司のせいにして、
成果が出せない原因を環境のせいにして、
物事が上手くいかないのを時代のせいにして。
子供の頃は、人生のレールは親が敷いてくれていた。
就職までは、先人たちがレールを敷いてくれていた。
でも、社会に出て働き始めてからのレールは、誰も敷いてくれない。
あなたの目の前に広がるのは荒野だ。果てのない荒野だ。
その中で誰かが引いたレールの上を進むのもあなたの自由。
自分の進みたい方向にレールを敷きながら進むのもあなたの自由。
誰かのためにレールを敷くのもあなたの自由。
あなたはどの自由を選ぶ?
農業革命、産業革命、情報革命。
人類はこれまで3つの社会革命を経てきた。
まもなく人類は「次の革命」を経験するという。
革命がおこれば、すべてが変わる。ほんとうにすべてが。何もかもが猛スピードで変化する。
過去の価値観など無意味になる。それに縛られていては時代に置き去りにされる。
変化に置いてきぼりにされたくはないだろう?
それを乗り越え、乗りこなしたいだろう?
守りたいもの―家族、価値観、信念などがあるだろう?
であれば、この革命に、自らをフィットさせるしかない。自らを変化させるしか方法はない。
他人のレールに乗っていては、時代の変化に乗り遅れる。
他人に決定を委ねていては、出遅れる。
環境に身を委ねていては、誰かに利用される。
自らの人生のレールを自ら敷こう。
そのレールの行先を自ら決めよう。
環境そのものも自らつくりあげよう。
自らの人生の決定権を自ら持とう。
あなたの人生はあなたのものだ。
あなたの人生はあなたがつくるものだ。
他人にどういわれようと、時代の流れがどうであろうと、今の環境がどうあろうと。
そんなものに惑わされてはいけない。いまに無意味になる。無価値になる。
時代の変化が訪れたときに、自らがどうあるか。どうありたいか。
それを自ら決めよう。
あなたは自分の人生の決定権を持っているか?
人生の決定権は、誰でも持てる。簡単だ。今すぐ「人生の決定権は私にある」と決意するだけだ。
Lead the self.
自らの人生のレールは、自ら敷こう。
その方が、人生は楽しい。