会社には人が集まります。そこには当然「文化」が産まれます。
コーポレートカルチャーの重要性が強く叫ばれるようになっているのは、「企業は人なり。経営は人こそすべて」に起因しているのでしょう。人が大事、だから文化が大事、と。
生活に紐付いた文化は自然発生的に産まれるものですが、企業における文化はある程度コントロールして創っていくものです。会社は組織であり、マネージメントするものである以上、完全に自然に任せて文化が産まれるものではありません。
ではそのとき、その文化は誰が作るものなのでしょうか?
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社長が文化を作るのか
社長は、特に創業者は、何か実現したい思いがあって創業しています。それを実現するために必要なチーム像は、その心の中にきっと持っているものでしょう。
とすると、社長が文化を作るものなのでしょうか?
社長は何か特別実現したい思いや突き動かされるもの、自らの行動を引き起こす根本的な価値観など、様々なものが折り重なって創業しています。それは決してロジックからうまれるものではありません。
特に、スタートアップは、会社=経営者、経営者=会社と言う、経営者そのものが会社が体現すべき文化であると言う状態が長く続きます。
そのため、意図せずとも、社長の存在そのものが文化であり社長が文化を作っていると言う状態です。
それを暗黙の了解として文化の形成に至っているケースも多いでしょうが、暗黙の了解と言うのは個人個人がそれぞれのバイアスを通じて見るもので、人によって解釈が異なることもあるので、社長が心の中で思う組織像と、実際の組織が乖離することも起こりえます。
そのため初期のフェーズでは、社長自らがしっかり自分の作りたい文化を考え抜き、それを明文化し、スタッフに伝えることが必要ととなります。
つまり消極的積極的問わずそもそも創業期は社長が文化を作っているということになります。
みんなで文化を創るのか
しかしながら、文化というものはやはり強制して無理やり創り出せるものではありません。
文化と言うものはそこに集まった一人一人が経験則をもとに築き上げていくものに他ならないのです。
会社は確かに人為的に作られた集団ではありますが、故に強制的に文化を築こうとすることは可能です。しかしながら、それは強要であって、心の底から共感をしているものになることはありません。
日本人であれば、朝ご飯に白米味噌汁納豆を食べると言う文化が自然に受け入れられると思いますが、外国人が日本に住んだからといってそれに馴染むとは限らないわけです。
そもそも文化とは強制的に作れるものではなく、あくまでもそこに集まった人たちが自然に創り上げていくものなのです。
その意味で、文化はみんなが創るといえます。
社長が方向性を示し、みんなで文化を創る
自然発生的に文化の形成を待っていても、ビジョンの達成に近づくわけではありませんし、組織としての統制は取れません。
とはいえ、社長が全てを決めるのでは軍隊と変わりませんし、多様性によるレバレッジがききません。
結局のところ、バランスが大切ということじゃないかと思います。
会社というものは創業者が思い描くビジョンを実現するために存在しているのですから、それを価値観の基準とした文化を作るべきですし、それが行動規範やバリューの形で言語化されているべきです。
しかしながら、それを日本国憲法のように何十年も改変せず、時代に即さない形になっても改善せず、絶対的なものとして扱う必要はありません。
こういうご時世ですから常に人の入れ替わりも起き、その集団の形は組織の構成員によって常に変化し続けます。
だからこそ、文化も常に変化させるものだという認識に立ち、創業者の価値観はもちろん大切にしながらも、その時々でどのような文化であるべきかをメンバーと共に考えるのが最適ではないかと思います。
人は押し付けられたものよりも、自ら動き、考えたものの方を心のよりどころとするからです。