昔からのボクの持論として「質の高いアウトプット」を出すために必要なのはとにかくインプットの量が必要であると考えている。インプットがたくさんあり、自らの血肉となったときに初めて、質の高いアウトプットが出せる。
社会人にとって、評価されるのは経過ではなくあくまでアウトプットである。それがプレゼンであれ、事業計画であれ、ソースコードであれ、マネージメントであれ。いくら「頑張った」からといって、質の低いアウトプットでは評価に値しない。あくまでアウトプットのみ、その質の善し悪しでしか評価されないのである。
このアウトプットの質を高めるためには、とにもかくにもインプットをひたすらし続けるしかない。
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インプットには2種類ある
一概にインプットといっても2種類にわけられる。知識のインプットと、経験のインプットである。
知識のインプット
知識のインプットは、情報量だ。
情報大洪水の時代、書籍でもマスメディアでもネットメディアでも、情報はいくらでも転がっている。最新のニュース、それに対する考察、他社事例やそのタイムライン、事業を考えるためのテンプレートやフレームワーク、とにかく情報はなんでも、どこにでもある。
そのために、必要なコストは、時間と金だ。自らの将来への投資として、それをふんだんに使うか、という判断をするだけで、知識のインプットはいくらでもいれることができる。時間と金は有限だが、その心構えだけで可能性は無限に広がる。
経験のインプット
経験のインプットは、体験量だ。
これは、自らの心構えだけでは得ることは難しい。こちらも、知識のインプットと同様に、必要なコストは時間だが、金をかければ得られるものではない。環境が必要となる。
その環境を積極的に得にいけるかどうか、を判断するのは非常に難しいが、非常に重要だ。
これについては、またいくつかの視点で記述したい。
「質」を判断する前に、まずは「量」が必要
もちろん、とはいえ、質の高いインプットであることにこしたことはない。
特に若い時分においては、当然、質の判断などすることはできない。その判断基準を持ち合わせていないからだ。
なので、インプット。とにもかくにもインプット。1にインプット、2にインプット、3、4もインプットで、5にインプットだ。玉石混淆さまざまな知識や経験をインプットしまくるのがよい。
知識のインプットと経験のインプットの量をこなすことで、その質の判断が行うことができるようになる。そうすれば、有限な時間を有効に活用することができる。
そこに至るまでは、時間をかけて「量」をこなすことに意味がある。後々、無駄だったな、と感じる情報や経験もあるかもしれないが、この「判断基準」を手に入れるための投資と考えれば、無駄なものなど何もなく、すべてに意味を見いだすことができる。