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優秀な人財に共通する能力と「表現型可塑性」につきる
「優秀さ」は人に寄らず、組織に寄る、という考えについて前回のブログ記事に記載した。
組織のなかでの役割において、その優秀さに求められるものは変わる、ということである。
では、組織に寄らずに、人の能力にのみおいて「優秀さ」とはなにか。
それは「表現型可塑性」につきるとおもう。
表現型可塑性とは、生物学の用語で、Wikipediaによると、以下のとおりである。
表現型の可塑性(ひょうげんがたのかそせい)または表現型可塑性(ひょうげんがたかそせい)とは、生物個体がその表現型を環境条件に応じて変化させる能力のことである。<中略>もともとは発生生物学の分野で考案された用語だが、現在ではより広く、行動の変化なども含むものとしてより広く使われている。
表現型の可塑性 – Wikipedia
環境適応能力、といえばわかりやすいだろうか。簡単にいえば、組織に寄って、その優秀さが異なるのであれば、そこに自らを寄せればいい、ということになる。
「表現型可塑性」を体現することは、無駄なプライドを持たないということ
「表現型可塑性」の体現。これは言うが易し。非常に難しい。
組織における優秀さも、時々刻々と変化する。その変化を感じとり、自らを変化させなければならない。
人は、それぞれにおいて歩んできたキャリア、経た経験、得たノウハウが異なる。それに起因してプライドもある。また、元来ひとというものは変化を嫌い、安定を好む性質でもある。そのなかで、自らを変容させるは、自らを否定することに等しい。
しかしながら、それこそが、様々な組織で一様の成果を発揮するための足かせとなるのである。
「表現型可塑性」をもつ人財は、このプライドを持たない。というと語弊があるかもしれないが、そのプライドをもって自らを変容させることを否定しないのだ。
成功例の再現性は皆無であるからこそ、変容を続ける必要がある
成功例の再現性は、皆無である、と個人的には思っている。まったくおなじ環境が再現されることはまずない。組織も社会も変化を続けていることが真理であり、次の瞬間には、今とは異なる世界へとなっているからである。
いままさに有効な手だては、明日にも有効だという論拠はどこにもないのだ。
その変化を感じとり、受け入れ、自らを変容させ、そこに有効な手をうつことこそが、個々に求められる「優秀さ」にほかならない。
今日優秀なひとは、明日優秀とは限らない。明日優秀であるためには、今日の自らを否定せねばならない。
自己否定は、自己を客観視する、ということだ。チームにとって、会社にとって、社会にとって、いまの自らの立ち位置を客観的にみつめ、自らを変容させららる人物こそが優秀であり、優秀な人財は計らずともそれを理解し実行しているものである。