AppStoreのセカイカメラ禁止や大粛清で、プラットフォーム上でのビジネス上のリスクについて考察したが、essa氏が、「同床異夢ableでなければプラットフォームと言えない」というエントリーで、iPhoneとAndroidを対比させて、「プラットフォーム = 同床異夢」論を書いていて、非常に興味深かったので一部転載する。(同床異夢というキーワードが気に入ったというのもある)
iPhoneのプラットフォームにおいては、essa氏は、ボクと同様の指摘をしている。
iPhoneでは、ジョブズの判断は絶対的で、ジョブズが駄目だと言ったら、ある日突然、そのソフトが実行できなくなる可能性がある。違う床、つまり、アップルと競合しない分野や競合しない規模のビジネスであれば、それなりの自由はあるが、ひとたび、アップルと同じ床に乗ろうとすると、違う夢は見させてくれない。本や雑誌は相当危いと思う。
同床異夢ableでなければプラットフォームと言えない – アンカテ
iPhone上で動くソフトを開発し、それを重要な基盤としてビジネスを行なうことは、ハイリスクであって、そのリスクの性質は、過去のどんなプラットフォームとも違う。
同床異夢ableでなければプラットフォームと言えない – アンカテ
ジョブズが(Appleが)Controllableを担保すればするほど、そこに検閲の可能性が大きくなり、ジョブズの指先ひとつでビジネスが閉じられる、自由が奪われる可能性が大きくなる。iPhoneやiPadに大きな可能性があることは全く否定する余地はないが、はたしてこのリスクを許容するほど大きなリターンが得られるのだろうか。現に、ウィジェットや独自デスクトップのあるiPadアプリを拒否というように、Appleの検閲に関する話題がまたしても出てきている。
また、iPhoneのプラットフォームの対比として、essa氏はAndroidをあげ、オープンソースなプラットフォームであるAndroidの方が同床異夢でいられるとしている。
AndroidのようなオープンソースのOSであっても、端末の環境はキャリアやメーカーに縛られるケースはあるが、キャリアやメーカーはそれぞれ競合しつつ独自の判断で、動いてよいソフトを選択する。大本のグーグルには、その自由がない。
オープンソースでは、そのソフトに対する権利について、作者は特別扱いされない。グーグルには、Androidを自由にする権利がない。キャリアはいつでも自分のユーザと一緒に、グーグルと違う夢を見ることができる。
同床異夢ableでなければプラットフォームと言えない – アンカテ
ビジネスとはそもそも同床異夢で、だから、契約というものが非常に重要だ。
オープンソースは、契約というシステムに匹敵する大発明で、これによってビジネスの環境が広がる。
知識経済ではネットワーク効果が大きくなるので、たくさんの夢を乗せるプラットフォームが非常に重要になる。そこにみんなが乗るためには、契約というルールに合意することと同じレベルで、オープンソースをベースにすることが必須になるだろう。契約は自分のコントロールを強化することで、オープンソースは自分のコントロールを意図的に放棄することで、これからの経営者は両方の実務を知りつくして、両者を駆使して同床異夢ableなプラットフォームのあり方を模索していくだろう。
同床異夢ableでなければプラットフォームと言えない – アンカテ
まず、プラットフォームがオープンソースであるかどうかという点が、同床異夢になるかどうかに関係するということに関しては、ちょっと話がズレてしまっているように感じた。その上で、「グーグルと違う夢を見ることができる」「たくさんの夢を乗せるプラットフォームが非常に重要になる」は同意できる。
もう少し整理すると、「プラットフォーム=同床異夢」という点だけを考えるならば、どの程度3rd Partyの自由度を看過するかというところにかかってきて、その点はAppleは非常に強いControlを望んでいて、Googleはその権利を放棄している。
ですが、Androidの場合はオープンソースであるがゆえに、Android自体がプラットフォームに完全には成り得ない可能性があり、Androidを利用した第3者によるControlが入る可能性が有る。例えば、docomoは独自のMarketに将来的に意向することを以前仄めかしていたが、これが実現すれば、docomoによるControlが発生する可能性が大いにありえる。この点は、AppleとAndroidを単純に比較できなくて、オープンソースなプラットフォームが成立し得るかというと難しいところではある。
ただし、”オープンソースなプラットフォーム”という一般論ではなく、Androidに限定するならば、オープンソースであったとしても、共通のMarketを基本的には各社利用するようだし、そうなるとGoogleは一切の検閲を行わずにソフトウェアを公開するとしているので、Appleのようなリスクは起こりえないといえる。
ビジネス上のリスクが”検閲”にあるとするならば、メリットはやはり普及率だ。「たくさんの夢を乗せるプラットフォームが非常に重要になる」に同意したのはこのためだ。現状では、Appleに軍配があがるため、ジョブスの独断と偏見をリスクと許容して、iPhone、iPadというプラットフォーム上でビジネスするのが最適と答えが出るように思える。しかし、今後を考えるとオープンソースでメーカ側の端末開発のコストを減少することができるために採用されることが多くなるであろうAndroidの方が、爆発的に普及する可能性を秘めている。
これらをまとめると、オープンソースであるかどうかは「同床異夢」には関係ないといえるように感じた。端的に言えば、「iPhone / iPadは、コントロールされるリスクがあり、端末自体もAppleのみが開発しているために将来的な普及率には上限が存在しえる」「Androidは、コントロールされるリスクも少なく、端末は世界中のメーカが勝手に開発するために将来的に爆発的に普及する可能性がある」ということで、それぞれの具体的なPros/Consとして考えられる話で、オープンソースとプラットフォームという一般論に落としこむのはちょっと無理があるような気がする。
総論同意、各論異論というだけであって、この「同床異夢」は激しく同意する。もちろん同床異夢であることをユーザが望んだことを理解した上で、今後、プラットフォームがどのような方向性になるのか。プラットフォーム事業者たる企業は限られてくるため、誰もがプラットフォームのあり方を模索できる状況にはならないかもしれないが、それぞれのプラットフォーマーに対し、ユーザとして同床異夢になれるかどうか、働きかけをしながら、共存していく道を探っていくというのは必要になるだろう。
しばらくの間、プラットフォームといえば、Windowsのひとり勝ち、Googleのひとり勝ちがつづいていたが、ここに来てiPhone/iPad、Facebook、twitterなど、新興のプラットフォームが一気に世界的な規模に拡大する傾向が見て取れる。いずれもコミュニケーションによるものというのが特徴的だ。今後もプラットフォームの行く末については、注視していきたいと思う。