優秀な人財ほど、なぜ会社を辞めていくのか

人財は重要だ。そうはいいつつ、いつの時代も、優秀な人ほど会社を辞めていってしまう。

それは、優秀な人の方が「辞めた」という事実が、記憶に残りやすいから「ほど」という感覚的な印象がついているだけかもしれない。

一方で、優秀だからこそ、会社のちょっとしたネガティブな変化にいち早く気づき、泥舟が沈むよりも前の、泥舟に会社がなろうとしているタイミングで辞めている、ということもあるだろう。

いずれにしても、優秀な人には残ってもらいたい。そう考えたときに、マネージメントレイヤーとして意識すべき「辞める理由」がある。

会社のビジョンが見えない

会社が世の中に対してどんな価値を提供し、今後どこに進もうとしているのか。

仮に高い給料がもらえて、成長できる環境があったとしても、真に優秀な人はそれだけで満足はしない。

自らの能力が、何かを実現するために利用価値が高いことを、優秀な人財は理解している。

そのため、自らが目の前でこなしている仕事が、社会的にどういう意義があるのか、ということがはっきりとわかっている方が、仕事に対する満足度は高い。

会社のビジョンに共感できない場合、より共感できるビジョンを持っている会社や、どうせ共感できないならとより給料が高い会社へ転職してしまう。

社長にリーダーシップがなく、尊敬できない

優秀な人材だからこそ、会社を成長させるための旗振り役である社長の存在を気にとめる。会社の旗を振るリーダーシップの重要性を理解しているからだ。

そのため、自分と近しい関係で働き、自然にその感情を共有することが、自らを信頼している居心地の良さへとつながる。

必ずしも、強い力で引っ張るタイプのリーダーシップを持つ必要はなく、誠実さや寛容さなど、ビジョンを実現するために自分たちを必要としてくれている、と思えるかどうかが大切なのだ。

エゴイストのように強権を振るったり、ましてや、不正行為を明らかに働いていたり、より些細なことだと、会社に正当な理由なく来なかったり、そういった尊敬できないと思うようなことの積み重ねが、腹心の離反を招く。

発言権が与えられない

優秀な人財であればあるほど、知識があり、見識があり、観察力・洞察力がある。

他人のアイデアに対して様々な角度からの「一家言」が溢れるように出てくる。当然、自らのアイデアも同様だ。

そういった意見を、率直に言い合って、フラットにディスカッションできる環境を用意すべきだ。

意見が言えない。言っても聞いてもらえない。意見を言うことすら憚られる環境だと、抑圧を感じてしまう。

優秀な人財は、新規事業であれ、既存事業の持続的イノベーションであれ、何か新しいことをやりたくて、常にうずうずしている。

それが、会社の都合でできない、ということは理解できても、その思いを受け止めてもらえない、と感じるような状況は、苦痛に感じてしまう。

とにもかくにも聞くこと。そしてディスカッションすること。

彼らのアイデアが、ノーならノーで、なぜノーなのかをきちんと説明することが大切だ。

社員の質が低い

優秀なひとは優秀なひとが多い場所に集まる

自らを成長させてくれる環境を、尊敬できるひとに囲まれて仕事ができる環境を、より好むからだ。

スタートアップであればあるほど、無能な人財は「無能」というそのままの評価になり、役には立たない。

しかしながら、会社の規模が大きくなればなるほど、全体的な質は低下する。これは必然だ。

必然なことは、当然、優秀な人財は理解している。だが、許容範囲がある。その限界を超え、過半数以上が無能な人財になってしまい、自らが学ぶものがなくなったと感じたとき、優秀な人財はそこを自らの居場所とは考えなくなってしまうだろう。

あまりにも無能な人財を入社させないようにし、また、チームビルディングの際にも、優秀な人財同士が相互作用を起こせるように注意を払うべきだ。

公正な評価がされていると思えない

プロとして働いているのだから、仕事の評価は真っ当に受けたい、と誰もが思う。

優秀な人財は、プロであるからこそ「給与」への意識は強く、評価は給与に反映すべきだ、と考えている。

しかしながら、それが給与に反映せずとも、労いや感謝の言葉のようなものであっても、評価されること自体が大切である。

給与への反映は、会社の状況や相対的なものがあることは理解しているためである。

しかし、どんなに困難な目標であっても、些細な目標であっても、その成果を他人に横取りされてしまうことが起こるような会社に対して、忠を尽くそうと思うだろうか。

それが、正当な理由があるならまだしも、明らかにえこひいきとわかるような成果の付け替えはもってのほかである。

マネージメントレイヤーは、すべての社員を公正に扱わなければならない。