ケータイ小説は小説ではなくケータイ小説である

ケータイ小説なんて読む価値もないと一刀両断する風潮があります。
しかし、その一方でケータイ小説の書籍化が次々となされています。通常の書籍よりも比較的部数が伸びやすいといわれており、そのブームに拍車をかけているのでしょう。
さらに、その中でも注目度が高いものは、ミリオンセラーを達成したり、映画化され大ヒットしています。

たかがケータイ小説と容易に考えて思考を停止させてしまうよりも、実際に読んでみた上で判断することが大切だと思ったことと、読む必要性に迫られたこともあり、いくつかピックアップして読んでみました。

ケータイ小説を「小説」と呼ぶには値しない

正直な感想を言えば、そんなに言うほど悪いとは思えませんでした。
確かに、これを小説と言うには、日本の文学を確立させ発展させてきた歴代の偉大な小説家たちに申し訳ない気持ちになります。小説のように、芸術という意味での表現の手法とは言えません。

また、かなりアラが目立つことも事実です。

  • 誤字・脱字や語彙力のなさが目立つ
  • 暴力・セックス・レイプ・性交・妊娠・中絶・精神病・援助交際・近親相姦・ドラッグ・不治の病・自殺未遂・恋人の死など、テーマの選択に偏向
  • 薄っぺらい人物像、考えや行動の変化の要因があまりにも描かれていない
  • 絵文字やギャル文字の安易な利用による読みにくさ、環境(携帯の機種)によっては読めないこともある
  • 展開がありえないほど速く、背景の描写が少ない
  • ストーリーに関係のない描写が多い

ほとんどのケータイ小説がこれらの項目に複数当てはまってしまいます。
ハッキリ言って、書籍化をして大きな売り上げをあげているものの中にも、読むに値しない作品があるというのも事実です。

なかには、グレシャムの法則の「悪貨は良貨を駆逐する」や、スタージョンの法則の「全てのものの90%はカスである」を持ちだして批判する方もいます。

ケータイ小説は新しいエンターテイメントの表現手法だ

小説と呼ぶには値しなくとも、読む価値がないとまでは言えないのではないかと思います。
確かにまだまだ駄作は多いでしょう。しかし、それは、まだまだ発展途上の表現手法であり、徐々に磨きがかかることによって名作が生まれてくる可能性は非常に大きいのではないかと思うのです。

スタージョンの法則に以下のような解釈もあります。

多量の駄作の存在は、それらを受け入れる市場の存在を前提にするが、それが存在しないジャンルは名作を生み出せない。そのような駄作は、駆け出しの制作者の修練の場でもあるからであり、それを失ったジャンルは、往々にして単発大作を求めてもろくなものを生み出せず、また跡継ぎを失って先細りになりがちである。

スタージョンの法則 – Wikipedia

新しいエンターテイメントとして「ケータイ小説」というジャンル、新たな表現手法が確立したと考えることができるのではないでしょうか。
平易な文章で記述されることが多く、日常的にメールで使っているような文体であることから、小説とは一線を画していることは確かです。しかし、それは利点であると考えることもできます。ある意味、表現手法に新しい風が舞い込んだと言えるでしょう。

スタージョンの法則は、まさに、今のケータイ小説業界を言い表しているのではないでしょうか。
まだまだ名作と呼ぶに値する作品は表れていません。今はまだ批判に晒されるかもしれません。
しかし、ぜひともケータイ小説を書かれている方たちは、そうした批判を口にしている人(私も含めて)を唸らせる作品を世に送り出していただきたいです。

逆に、批判にさらされているケータイ小説を書いてみようと考える奇特な小説家があらわれることも期待します。
批判を口にしている人たちが比較対象としている小説家が、ケータイ小説を書くとどんな作品になるのか非常に気になります。「これが小説家の力だ」と、ケータイ小説の手法を用いて、読者の心に響く作品を書くと、やはり小説家の表現力はすごいなと実感できると思うのです。