あなたのβは誰のためのβですか?

Web2.0では、リリースしたWebサイトはずっとβが望ましいということになっています。
常に修正を加え、トライアンドエラーを繰り返し、よりよいものを作っていく。そこに完成型たるものはなく、ビジネススキームの変化に応じて修正を加えていく。

Web媒体と紙媒体を比較したとき、このβという風潮を理解しやすいでしょう。
紙媒体はリリース時、しっかりと作りこまなければなりません。印刷にかけてしまったら、修正は利きません。リリースの時点で最良のものを作らなければならない。ベターではなくベストな状態に作りこまなければなりません。
その点、Web媒体は比較的緩やかです。しっかりと作りこまず、まずはリリースを行い、それから改良を重ねていく。ベストである必要はなく、ベターでよいのです。ベターを積み重ねることによってベストが生み出されるという考えです。
それが紙媒体と比べて、Web媒体のよさになっており、優位性であります。このWeb媒体の特性を表わすのに、βという言葉は端的であると思います。Web媒体はすべてβが望ましいとまで言われる風潮があります。

しかし、本当にその風潮は正しいのでしょうか。
私も間違っているとは思いません。βがインターネットの世界にいい効果をもたらしていると感じています。
しかし、すべてβが望ましいと思いません。βであることが望ましいわけではないはずです。

βであることが望ましいのは、ユーザにとって良いβだけであって、ユーザにとって悪たるβではないのです。
β、つまりベターな製品をユーザに届けるということは、それは未完成であるということです。
さらに言えば、このベターな製品がユーザにとってのベストでもなければ、ベターですらない状況が発生し得るということです。

製品はユーザあってこそ成り立ちます。製品の存在理由は、社長のエゴでもなければ、政治のエゴでもありません。ユーザこそが存在理由なのです。
もちろん、ユーザがすべてではないと思います。お客様は神様ではないからです。神様は間違いを犯しませんし、至極平等であるはずです。しかし、お客様は間違いを犯しますし、自分勝手です。
言うなれば、「お客様は王様」なのです。間違ってる時は間違っていると指摘すべきですし、すべてを受け入れるように媚び諂う必要もありません。ですが、極力受け入れる必要があるということです。
制作者のエゴだけで制作された、ユーザを全く顧みない製品は、その存在理由が欠格していると言えます。

βは制作側の意図だけの改変しやすさだけが理由で取り入れるべきではありません。
ユーザにとってよりよいものを提供する、つまり、ユーザにとってのベターを積み重ねるために採用すべきなのがβであって、制作側のベターを積み重ねるために採用すべきではないということです。

最近、SNS大手のmixiやGREEでは、制作側のベターの積み重ねである改悪ではないかと思うような改変が目立ちます。
mixiのデザイン変更しかり、GREEのアバター採用しかり。
本当にその改変はユーザにとって必要なことでしたか?制作側の意図だけで改変していませんか?
今一度、制作者として、自身に問いかけて欲しいと思います。

あなたのβは誰のためのβですか?