量をこなした先にしか、質は見えてこない

効率を重視する思考は、正しい。

無駄を省き、最短距離で目的に到達する。合理的であり、知的だ。しかし、この思考が有効に機能するためには、一つの前提条件がある。

何が無駄で、何が無駄でないかを判断できること。そして、この判断力は、量をこなした先にしか手に入らない。

質の判断には基準がいる

質を見極めるためには、判断基準が必要だ。

良い文章と悪い文章の区別がつくのは、大量の文章を読んだ人間だ。良い料理と悪い料理の区別がつくのは、多くの料理を食べた人間だ。何が「良い」かを知るためには、「良い」と「悪い」の両方を大量に経験する必要がある。

未知の領域に足を踏み入れたとき、判断基準はまだない。何が重要で、何が重要でないかが分からない。何に時間をかけるべきで、何を省略していいかが分からない。

この段階で効率を追求しようとすると、重要なものを「無駄」と判断して切り捨てるリスクがある。 判断基準がないまま取捨選択をすれば、大切なものを捨てる確率と、不要なものを残す確率は、ほぼ同じだ。

量が基準を作る

だから、判断基準がない段階では、量をこなすことが最善の戦略になる。

量をこなすとは、取捨選択をせず、片端から経験していくことだ。効率的ではない。しかし、この非効率のなかから、効率の基準が生まれる。

百のものに触れれば、そのなかで繰り返し現れるパターンが見えてくる。パターンが見えれば、次に何が来るかを予測できるようになる。予測ができれば、判断ができる。

量は、判断の土台を作る。 そして、土台ができて初めて、効率的な学び方が可能になる。

この順序は逆転しない。基準を持たずに効率を求めるのは、地図を持たずに近道を探すのと同じだ。

量をこなせる条件

量をこなすためには、時間と体力が要る。

これは単純な事実だが、重要な含意がある。時間と体力には限りがあり、その限りは年齢とともに減っていく。

若い時期には、体力がある。回復も早い。一日の使える時間も、人生の残り時間も長い。量をこなすための条件が、最も揃っている時期だ。

年齢を重ねると、体力は減り、回復に時間がかかるようになる。同じ量をこなすことが、物理的に困難になる。

だから、判断基準がない新しい領域に挑む際には、できるだけ早い段階で量を積むことが合理的だ。 これは根性論ではない。資源配分の最適化の問題だ。

量から質への転換

量をこなし続ける必要はない。

量をこなした先に、判断基準が形成される。基準が形成されれば、何が重要で何が重要でないかが見える。そこからは、質を追求するフェーズに移行できる。

重要なのは、この転換のタイミングを見極めることだ。いつまでも量にこだわるのは非効率だ。しかし、基準が形成される前に量をやめてしまうのも、同じくらい危険だ。

量と質は、対立するものではない。量が質を生み、質が次の量の方向性を定める。 この循環が、成長の本質的な構造だ。