天才と呼ばれる人間は、例外なく多作である
天才は、生まれながらにして天才ではない。
この事実は、天才の仕事を間近で観察すれば明らかになる。天才と呼ばれる人間は、例外なく、膨大な量の仕事をしている。 そして、その膨大な仕事のほとんどは、世に出ることのない駄作だ。
名作の土台
一つの名作の背後には、百の駄作がある。
モーツァルトは六百以上の作品を残したが、今日演奏される作品はその一部だ。エジソンは千以上の特許を持つが、世界を変えたと言われる発明はごくわずかだ。ピカソは生涯で五万点以上の作品を制作した。 その大半は、美術館に展示されることはない。
これは、天才が「多くの中から良いものを選ぶ」という戦略をとっていたことを意味しない。彼らは、ただ作り続けた。 良いものを作ろうとして、結果として大量のものを作った。名作は、計画の産物ではなく、大量の試行の副産物だ。
量と質の関係
「量より質」という言葉がある。
しかし、この言葉は誤解を招く。質は、量の対極にあるのではない。質は、量の延長線上にある。
質の高い仕事をするためには、何が「質が高い」かを知る必要がある。そして、それを知るためには、大量の仕事をするしかない。良い仕事と悪い仕事の区別は、多くの仕事を経験した後に初めて見えてくる。
最初から質の高い仕事をしようとする人間は、実は質の基準を持っていない。基準を持たないまま質を追求すると、自分の主観的な「良さ」に閉じこもることになる。外部のフィードバックに晒されない「質」は、自己満足と区別がつかない。
行動の蓄積
天才が天才である理由は、才能ではなく、行動の蓄積にある。
一つひとつの行動は小さくてもいい。重要なのは、行動を止めないことだ。 一歩が小さくても、一万歩歩けば、かなりの距離を進む。一日の進歩が微々たるものでも、千日続ければ、大きな変化になる。
天才と凡人の差は、出発点の才能の差ではなく、行動を続けた期間の差であることが多い。才能がある人間が十年で辿り着く場所に、才能がない人間が二十年かけて辿り着くことは、十分にありえる。
問題は、二十年続けられるかどうかだ。そして、続けるためには、結果に一喜一憂せず、プロセスそのものに意味を見出す必要がある。
最初の一歩
大量に作るためには、まず最初の一つを作る必要がある。
最初の一つは、必ず駄作だ。 それでいい。駄作を恐れて何も作らないよりも、駄作を作る人間のほうが、名作に近い。なぜなら、駄作を作った人間は、少なくとも「何が駄作か」を知っている。何も作っていない人間は、それすら知らない。
天才は多作である。そして、多作であるためには、駄作を恐れないことが必要だ。完璧を目指して何もしないより、不完全でもいいから何かを世に出す。 その繰り返しの先に、いつか名作が現れる。
いつ現れるかは分からない。しかし、作り続ける限り、その可能性はゼロにはならない。