自分の信念を、自分で疑えるか
強い信念は、人を動かす原動力になる。
しかし、強い信念は、同時に視野を狭める。 信じれば信じるほど、信じていることの正しさを疑う能力が低下する。これは、信念の構造的な欠陥だ。
情熱の盲目
何かに強い情熱を持っている人間は、その情熱の対象に対して客観的になることが難しい。
自分が正しいと信じていることに対して、反証を見つけようとする人間は少ない。むしろ、自分の信念を補強する情報ばかりを集め、反する情報を無意識に無視する。 これは確証バイアスと呼ばれる認知の歪みだ。
情熱が強いほど、この歪みも強くなる。自分のアイデアに惚れ込んでいる人間は、そのアイデアの欠点が見えない。欠点を指摘されても、「あなたには分からない」と退ける。この状態は、情熱ではなく、盲信だ。
悪魔の代弁者
中世のカトリック教会には、「悪魔の代弁者」という役職があった。
聖人の候補者を審議する際に、あえてその候補者の欠点や疑わしい点を指摘する役割だ。全員が賛成に傾いている場に、意図的に反対の視点を持ち込む。
この制度が必要とされた理由は、人間の集団が本質的に持つ欠陥にある。全員が同じ方向を向いているとき、その方向が間違っている可能性を誰も検討しなくなる。同調圧力が批判を封じ、批判が封じられた場では、健全な判断が機能しなくなる。
外部に悪魔の代弁者を置くことは有効だが、常に信頼できる批判者がそばにいるとは限らない。 だから、自分自身の内側に、この役割を持つ必要がある。
自己批判の技術
自分の考えを自分で批判することは、極めて難しい。
しかし、不可能ではない。一つの方法は、自分の考えの反対が正しいと仮定し、その仮定のもとで思考を組み立てることだ。
「このアイデアが正しいとしたら」ではなく、「このアイデアが間違っているとしたら、どこが間違っているか」を考える。「うまくいくとしたら」ではなく、「失敗するとしたら、何が原因か」を考える。
この思考実験は、見落としていたリスクを浮かび上がらせる。 そして、浮かび上がったリスクに対処する方法を事前に考えておくことで、実際に問題が起きたときの対応が速くなる。
確信と柔軟性の共存
自分を疑うことは、自分を否定することではない。
自分の信念を持ちながら、同時にその信念が間違っている可能性を常に認めること。 この二つは矛盾しない。むしろ、この二つを同時に保持できることが、思考の成熟を示す。
確信だけの人間は、頑固だ。疑いだけの人間は、優柔不断だ。確信と疑いを同時に持つ人間だけが、信念を持ちながらも軌道修正ができる。
自分の最大の盲点は、自分の最大の確信のなかに隠れている。だからこそ、確信しているものほど、意識的に疑う必要がある。
自分の信念を自分で疑えること。それは弱さではなく、知的な強さだ。