選択肢を一つに絞ることの、見えない代償
「二兎を追う者は一兎をも得ず」
この言葉は、選択肢を一つに絞ることの美徳を教える。しかし、この言葉が見落としているものがある。 一兎に絞った結果、その一兎を逃したとき、手元には何も残らないという事実だ。
絞ることのリスク
選択肢を一つに絞ることは、集中力を生む。
しかし、集中とは、一つを選び、残りのすべてを捨てることだ。捨てたものは、戻ってこない。 そして、選んだ一つが正解である保証は、どこにもない。
安定した時代には、一つに絞るリスクは低かった。社会が一つの方向に進んでいるとき、その流れに乗っていれば、選択を間違える確率は低い。しかし、変化が激しく、予測が困難な時代には、一つに絞ることは、すべてを一つの賭けに置くことに等しい。
選んだ道が閉ざされたとき、別の道がなければ、行き場を失う。
「得られなかった」の価値
二兎を追いかけて、結果的に一兎しか得られなかったとする。
一見、「二兎を追う者は一兎をも得ず」の教え通り、失敗したように見える。しかし、最初から一兎しか追わなかった人間と、二兎を追いかけて一兎を得た人間は、同じではない。
二兎を追いかけた人間は、追いかけなかった兎からも何かを得ている。失敗したという経験。その分野の知識。出会った人間。得られた視点。物理的には一兎しか手に入らなくても、追いかけた過程で蓄積されたものは、別の場面で活きる。
最初から一兎しか追わなかった人間には、この蓄積がない。
早すぎる選択
人生の早い段階で選択肢を絞ることには、特有の危険がある。
十代、二十代の段階で、自分が何に向いているかを正確に知ることは難しい。自分の適性を知るためには、多くのものに触れる必要がある。 触れる前に絞ることは、未知の適性を永遠に発見できないことを意味する。
「一つのことに集中しろ」という助言は、すでに自分の適性を知っている人間には有効だ。しかし、まだ自分を探索中の人間には、この助言は可能性を閉ざす呪いになりかねない。
探索の段階では、複数のものに手を出すことは散漫ではない。それは、自分を知るための必要なプロセスだ。
可能性を開いておくこと
すべてに全力を注ぐことは不可能だ。リソースには限りがある。
しかし、すべてを一つに絞る必要もない。 力の入れ方に濃淡をつけながら、複数の可能性を保持しておくことは、合理的な戦略だ。
メインの道を持ちながら、サブの道も持っておく。メインがうまくいけば、そのまま進む。メインが閉ざされたら、サブに移行する。この柔軟性は、一つに絞った人間には持てないものだ。
二兎を追うことは、欲張りではない。不確実な世界において、自分の未来を守るための知恵だ。追いかけなかった兎は、永遠に手に入らない。 だから、追いかける価値のあるものが複数あるなら、追いかけたほうがいい。
結果として得られるのが一兎だけだったとしても、追いかけた経験は、次の挑戦の糧になる。