成功よりも失敗のほうが、多くを教えてくれる理由
成功体験は、思ったほど役に立たない。
この主張は、直感に反するかもしれない。成功から学ぶことは多いように思える。しかし、成功体験の構造を注意深く観察すると、そこには根本的な問題がある。
成功体験の欺瞞
成功した人間が語る成功体験は、ほぼ例外なく、単純化されている。
複雑な要因が絡み合って生まれた結果が、いくつかの分かりやすいポイントに集約される。運が介在した部分は省略される。環境要因は無視される。残るのは、「自分がこうしたから、こうなった」という因果関係のシンプルな物語だ。
しかし、現実の成功は、そんなに単純ではない。成功の裏には、本人すら自覚していない幸運がある。たまたまタイミングが合った。たまたま必要な人間に出会えた。たまたま市場が追い風だった。
成功体験は、生存者バイアスに汚染されている。 同じことをして失敗した無数の人間の存在は、成功体験の語りのなかには登場しない。
失敗は科学できる
一方、失敗体験には、成功体験にはない特性がある。
失敗は、原因を特定しやすい。 成功は複合的な要因の結果であり、どの要因が決定的だったかを見分けるのは難しい。しかし、失敗の場合、「何が欠けていたか」「どこで判断を誤ったか」が、比較的明確に浮かび上がる。
つまり、失敗は科学できる。 原因を分析し、仮説を立て、次の行動を修正することができる。この修正は、成功体験から導かれる修正よりも、精度が高い。
さらに、失敗の再現性は高い。同じ条件で同じ過ちを犯せば、同じ失敗が起きる。だから、失敗から学んだ教訓は、将来の失敗を回避するために使える。 成功体験からは、この種の実用的な指針は得にくい。
他者の経験と自己の経験
経験には、他者の経験と自己の経験がある。
他者の成功体験からは、ほとんど学べない。前述の通り、単純化され、バイアスがかかっている。他者の失敗体験からは、そのプロセスを注意深く観察すれば、学べることがある。
しかし、最も学びが深いのは、自己の失敗体験だ。
自分で経験した失敗は、プロセスの全体が記憶に残る。どの時点で何を考え、何を選び、何が起きたか。この一次情報の豊かさは、他者の語りからは得られない。
自己の成功体験にも価値はある。ただし、それを「自分が正しかったから成功した」と解釈すると、足枷になる。成功を自分の能力の証明と捉えた瞬間、環境の変化に気づけなくなる。
仮説と失敗の循環
成功に至る道は、一直線ではない。
仮説を立て、実行し、失敗し、仮説を修正し、再び実行する。この循環のなかで、仮説の精度が徐々に上がっていく。成功とは、十分に精度が上がった仮説が、現実と噛み合った瞬間のことだ。
この循環のなかで、失敗は仮説を修正するための情報を提供する。失敗がなければ、仮説は修正されない。修正されない仮説は、いつまでも現実と噛み合わない。
良い仮説と、良い失敗。この二つが揃ったとき、成功への距離は縮まる。 逆に、失敗を避けて仮説だけを磨いても、現実との接点がなければ、仮説は机上の空論のままだ。
失敗を恐れることは、学びの機会を恐れることに等しい。そして、学ばない人間は、同じ場所に留まり続ける。