一つの道を極めることだけが、正解ではない

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一つのことを極めた人間は、尊敬される。

何十年もの歳月を一つの道に捧げ、その分野の頂点に立つ。その姿は美しく、人の心を打つ。 しかし、その美しさに目を奪われるあまり、見落とされていることがある。

頂点に立った一人の背後には、同じ道を歩きながら辿り着けなかった無数の人間がいるという事実だ。

求道の光と影

求道とは、一つの道を極限まで突き詰めることだ。

古代ギリシャの詩人アルキロコスの断片を、イギリスの思想家アイザイア・バーリンが1953年の評論『ハリネズミと狐』で有名にした。 「狐は多くのことを知っているが、ハリネズミはたった一つの大きなことを知っている」。 一つの原理に世界のすべてを還元するハリネズミ型と、多様な経験を並列に抱える狐型。求道とは、このハリネズミ型の生き方にほかならない。

百万人に一人の存在になること。その道の頂点に到達すること。 この生き方には、圧倒的な美がある。 一点に集中したエネルギーは、分散したエネルギーでは到達できない高みに達する。

だが、求道には残酷な数学がある。百万人が同じ道を歩けば、百万人に一人になれるのは、文字通り一人だけだ。 残りの九十九万九千九百九十九人は、その道では報われない。

これは才能の問題だけではない。運も、タイミングも、環境も関わる。同じ努力をしても、同じ結果には至らない。 「努力すれば報われる」は、求道においては統計的に正しくない。

もう一つの戦略

だが、頂点に立つ方法は、一つの道を極めることだけではない。

百分の一の力を三つ持てば、百万分の一になれる。 異なる分野の「そこそこ」が掛け合わされたとき、それは唯一無二の組み合わせになる。

これは妥協ではない。一つの分野で百万人に一人になるのと、三つの分野で百人に一人になるのは、数学的に同じ希少性だ。後者のほうが、到達可能性は遥かに高い。

そして、この掛け合わせこそが、その人間にしかない「独自性」を生む。 一つの分野の頂点には、似た能力を持つ競合者がいる。三つの分野の交差点には、ほとんど誰もいない。

この考え方を「タレントスタック」と名付けたのが、漫画『ディルバート』の作者スコット・アダムスだ。アダムス自身、絵の腕もビジネスの知識も文章力も、単体ではプロの中の一流とは言えない並の水準だったと自ら語っている。 しかし、その三つを一人の中で掛け合わせたとき、企業社会の理不尽をユーモアで風刺する漫画家という、世界にほぼ唯一のポジションが生まれた。 平凡なスキルの組み合わせが、非凡な希少性に転化した実例だ。

これは思いつきの理論ではない。ジャーナリストのデイビッド・エプスタインは、スポーツ・科学・芸術にまたがる実証研究を検証した。早期から一つの分野に特化する人間より、複数分野を渡り歩いてから専門を定めた人間のほうが、長期的な問題解決力や創造的成果で優れる傾向がある(Epstein, 2019)。 一点集中だけが勝ち筋ではないという主張には、統計的な裏づけがある。

失望の最小化と希望の最大化

人間の行動原理は、大きく二つに分かれる。

一つは、失望を最小化すること。失敗しないように、リスクを避け、安全な場所に留まる。 もう一つは、希望を最大化すること。 失敗を恐れず、可能性のある方向に動き続ける。

心理学者E・トリー・ヒギンズは、この二つの動機づけを「制御焦点理論」として整理した。 損失を避けることに動機づけられる「防止焦点」と、理想の実現に動機づけられる「促進焦点」。 同じ人間の中に両方が存在するが、恒常的にどちらへ重心を置くかは、日々の選択の幅を大きく左右する(Higgins, 1997)。

失望を最小化する生き方は、大きな失敗を避けることができる。だが、大きな発見もない。安全ではあるが、驚きがない。

希望を最大化する生き方は、失敗が多い。しかし、 失敗の数だけ、経験という資産が蓄積される。 そして、その蓄積のなかから、予想しなかった組み合わせが生まれる。

道は一つではない

求道が悪いのではない。探索が正しいのでもない。

重要なのは、「求道だけが正解だ」という思い込みを捨てることだ。 一つの道を極める人間がいていい。多くの道を渡り歩く人間がいてもいい。

自分に合った方法で前に進めばいい。ただし、どちらの道を選ぶにしても、一つだけ共通する条件がある。

動き続けることだ。

立ち止まることだけが、どちらの道においても、確実に失敗する唯一の方法だ。


参考文献

  • Berlin, I. (1953). The Hedgehog and the Fox: An Essay on Tolstoy’s View of History. Weidenfeld & Nicolson.(邦訳: 河合秀和訳『ハリネズミと狐』岩波文庫, 1997)
  • Adams, S. (2013). How to Fail at Almost Everything and Still Win Big: Kind of the Story of My Life. Portfolio.(「タレントスタック」の提唱)
  • Epstein, D. (2019). Range: Why Generalists Triumph in a Specialized World. Riverhead Books.
  • Higgins, E. T. (1997). Beyond pleasure and pain. American Psychologist, 52(12), 1280–1300.(制御焦点理論: 防止焦点と促進焦点)