他者が作った波に乗ることの危うさについて

流行に乗ることは、一見すると合理的に見える。

多くの人が向かっている方向には、何らかの理由がある。その波に乗れば、少なくとも方向を間違えるリスクは低い。——そう考えるのは、自然なことだ。

しかし、全員が同じ方向に向かったとき、その場所で何が起きるかを想像したことがあるだろうか。

模倣の構造

あらゆる機能は、模倣される。

どれほど独創的な技術も、どれほどユニークな仕組みも、それが価値を生むと判明した瞬間から、模倣の対象になる。模倣者が現れるのは、時間の問題にすぎない。

模倣者は、先行者の試行錯誤を省略できる。先行者が費やしたコストを負担せずに、先行者と同等の機能を提供できる。場合によっては、より洗練された形で。

こうして、最初は独占的だった価値が、多くの供給者によって提供されるようになる。機能が横並びになった瞬間、残された差別化の手段は価格だけになる。

価格競争は、消耗戦だ。体力のある者が勝ち、体力のない者が退場する。この競争に論理も美学もない。あるのは、持久力だけだ。

波の正体

「いま流行っている」と言われるものの多くは、すでに供給者が飽和しつつある市場だ。

波に乗ろうとしている時点で、その波はすでに誰かのものだ。 自分が乗る頃には、波の最も良い部分はすでに過ぎている。残っているのは、波の残り香と、それに群がる大勢の競争者だけだ。

他者が作ったプラットフォームの上で、他者が設計したルールに従い、他者が決めた報酬体系のなかで働くとき、そこに自分の裁量は、どれだけ残っているだろうか。

プラットフォームの所有者にとって、個々のプレイヤーは交換可能な部品にすぎない。一人が抜けても、別の一人が入る。交換可能であるということは、価値を主張できないということだ。

模倣できないもの

では、模倣の連鎖から逃れる方法はあるのか。

ある。模倣できないものを持つことだ。

機能は模倣できる。技術も模倣できる。仕組みすら模倣できる。しかし、その人がその人であるという事実は、誰にも模倣できない。

ある人間が何を大切にし、何に怒り、何に美しさを感じるか。その人間が築いてきた関係性と、その関係性のなかで生まれた信頼。——これらは、外部から複製することが不可能だ。

模倣できないものの正体は、アイデンティティだ。

「何をするか」ではなく「なぜそれをするのか」「誰のためにそれをするのか」「それを通じて何を表現しているのか」——これらの問いへの答えが明確であるほど、模倣の及ばない領域が広がる。

流行に背を向けるということ

流行に背を向けることは、孤独を選ぶことでもある。

多くの人が向かっている方向に行かないということは、多くの人からの共感を得にくいということだ。「なぜそっちに行くのか」と問われても、論理的に説明できないこともある。

しかし、群衆と反対方向に歩く人間だけが、群衆がまだ見ていない景色を見ることができる。

他者が作った波に乗る人生と、自分の波を作る人生。前者は安全に見えるが、実は波の気まぐれに翻弄される。後者は不安定に見えるが、実は自分の意志で方向を決められる。

真の安定とは、外部環境に依存しないことだ。 他者の波に乗っている限り、その安定は他者の都合によっていつでも失われる。

自分の足で立ち、自分の言葉で語り、自分の価値を自分で定義する。それは、誰にとっても容易ではない。しかし、模倣と競争の泥沼から抜け出す唯一の道は、模倣できない自分自身を磨くことだけだ。