「最近の若い奴は」と言う人間が、見落としていること
「最近の若い奴は」——この言葉は、何千年も前から繰り返されてきた。
古代エジプトの壁画にも書かれていた、というのは都市伝説らしい。しかし、都市伝説が信じられてしまうほどに、この言葉は普遍的だ。あらゆる時代の、あらゆる年長者が、この言葉を口にしてきた。
そして、あらゆる時代において、この言葉は間違っていた。
進化の方向
生物は、環境に適応する方向に進化する。
これは生物学の基本原理であり、人間も例外ではない。環境は世代ごとに変化し、新しい世代はその新しい環境に最適化されて生まれてくる。
「最近の若い奴は」という不満は、実は「新しい環境に適応した個体が、古い環境に適応した個体とは異なる」という事実を、否定的に表現しているにすぎない。
新しい環境では、新しい能力が求められる。デジタル技術への適応、多様な情報源からの判断、流動的な環境での柔軟性。これらの能力において、新しい世代が旧い世代を上回るのは、進化の必然だ。
旧い世代が得意とする能力——安定した環境での持続力、固定的なルールへの適応——は、新しい環境ではその価値が下がっている。優劣ではなく、適応の対象が変わったのだ。
古い正解の賞味期限
上の世代が持つ知識や経験は、それが獲得された環境においては正しかった。
しかし、環境が変われば、正しさも変わる。昨日の正解が今日の正解である保証は、どこにもない。
テレビが登場したとき、映画関係者の多くは「あんな低俗なもの」と軽蔑した。しかし、テレビを受け入れた者が次の時代を作った。インターネットが登場したとき、同じことが繰り返された。そしてSNSが登場したとき、また同じことが起きた。
新しいものを「理解できない」と感じたとき、問うべきは「それが間違っているのか」ではなく、「自分の理解の枠組みが古くなっていないか」だ。
押し付けの構造
「最近の若い奴は」の裏にあるのは、自分の価値観が普遍的だという思い込みだ。
しかし、価値観は時代の関数だ。高度経済成長期に正しかった価値観が、低成長時代にも正しいとは限らない。終身雇用の時代の処世術が、流動性の高い時代にも有効だとは限らない。
「こうすべきだ」という助言の多くは、「かつてはこうすべきだった」の言い換えにすぎない。 環境が変わった以上、「べき」もまた変わっている。
にもかかわらず、年長者は自分の経験に基づく「べき」を、若い世代に押し付ける。これは善意から来ていることが多い。しかし、善意であっても、時代遅れの「べき」は害になる。
敬意と従順は違う
上の世代への敬意は必要だ。
その世代が築いたものの上に、今の世代は立っている。先人の努力なしに、現在はない。この事実に対する敬意は、健全であり、必要だ。
しかし、敬意と従順は違う。過去を尊重することと、過去に従うことは違う。
先人が切り拓いた道に敬意を払いながら、その道の先にある、先人には見えなかった景色に向かって歩く。 それが、世代を超えて受け継がれる本当の意味での進歩だ。
「最近の若い奴は」と言いたくなったとき、立ち止まって考えるべきだ。それは本当に若い世代の問題なのか。それとも、自分が新しい時代に適応できていないことの表れなのか。
新しい時代を創るのは、常に新しい世代だ。 それは今に始まったことではなく、人類の歴史を通じた不変の原則だ。